小林勝彦の「喜怒哀楽」そこに写真

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さあ、写真展開催が本格的に動き出しました

なかなか、決まらなくて本人としても、ちょっと落ち込み気味だった写真展ですが、なんとか良い会場が
見つかり、日程も確保することができた。

さて、これからがいろいろと苦悩の日々が、きっとまたやって来るに違いありません。
なんせ、わからないことだらけ、やらなければならないことだらけなんですから。

まずは、案内状を作ることが一番最初にやらねばならないことのようです。

写真の選定も…

コンセプトをどうするのか??
写真集に沿った形で行くのか、それとも自分の10年の撮影を振り返るのか。

今回は、写真集完成記念ということもあるので、写真集のサイドストーリー的な選択にするのがいいようにも
思えています。写真集に掲載されている写真を、より大きく迫力あるプリントで、そして写真集には掲載しきれ
なかった写真たちを見てもらえるチャンスということでもありますし。

さらに、いろいろと企画も考えています。
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by kkphoto | 2010-05-21 14:20 | お知らせ

写真展の会場と日程が決定

だらだらとなかなか決まらなかった写真展ですが、なんとかやっとのことで、場所と会期が決まりました。

■会場 大阪市北区茶屋町 「茶屋町画廊
■会期 2010/07/05-10

詳しいことは、まだ決まっていませんが、とりあえずご報告。
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by kkphoto | 2010-05-20 12:18 | お知らせ

2002年 LeMans Vol.2

そんなこんなの私が2002年になぜ、フランスの見知らぬ土地であるLeMnasに行くことにしたかというと、
実は確たる動機といえるほどのものはなく、「やっぱり行きたくなった」というのが本音で、それにたいして
いろいろと、理由をつけてみたりもしたが、結局のところ「行ってみたくなった」ということなのです。

でっ、この旅は、ご想像の通り珍道中になりました。

海外に行く気などまったくなかった人間ですから、英語ももちろん中学生一年レベル以下、早い話…話せない。もちろんフランス語などボンジュールとサバしか知らなかった。そのサバに至っては、フランス語らしいということは理解していたが、意味すら知らなかった…そんなヤツがひとりでフランスへいくのだから、どんだけ無謀なことか。

その珍道中の話を書き出すと、なかなか本題に進めないので、またの機会に…ということで。

とにかく、アホ丸出しでいろんなことをしてTGVに乗って、LeMans市内に到着できた。
レースが開催されているので、日本でのレース関係の知り合いもすでにLeMans入りしているので、ここからは、知り合いに引っ付き虫状態で、あとはなんとか乗り切ったわけです。

でっ、この年はKONDO RacingもLeMansへの初参戦、チャレンジの年でした。
サーキットについて、近藤監督に会うと、大笑いして「えええっ、来たの~」って、不思議なテンションで迎えてくれしまた。来ましたとも、そりゃもうとても珍道中で…そんな話はしませんでしたが。

この「来たの~」的な、会話が後に暑い暑い国で、同じように繰り返されるとは、この時は想像することなど出来るわけも中田わけなのですが…

2002年のLeMansでは近藤監督は選手でもあり、あの1周13Km以上あるLeMansのコースを昼夜走ったわけです。私が近藤氏のレースシーン(エキシビションではなく)走りを撮影したのは、これが最後だったのかもしれません。
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by kkphoto | 2010-05-19 23:01 | 写真

2002年 LeMans Vol.1

右も左も上も下もなんにもわからなかった。

2002年6月。

あるきっかけで、思い立った。
「LeMansに行こう」

実は、私が生まれて初めて見た自動車レースは、「ル・マン24時間自動車耐久レース」だった。

あれは、小学校6年生くらいだったと思う。土曜日のこと、学校から帰ったら友人から「ル・マン見に行かへんか」と誘いが来た(当時、土曜日は午前中授業だった)。なにやら、1人行けなくなったので、チケットが一枚あまったとのこと。

それならばと、友人の父親に引率されて、一緒に出かけることになった…電車に乗って。

ル・マンに電車で??
フランス国内にでも住んでいたような、話しぶりではあるけど、そんなわけはない。
70年大阪万博会場の近くに住んでいたから、フランス館は近くにあったけど、開催時にも入場していないし…

我々が出かけたのは、スティーブ・マックインが作った名作映画、「栄光のル・マン」を大阪・梅田の映画館へ見に行ったというのがオチ。

私の中では、この映画がモータースポーツの原体験ということになってしまった。
それから私は、静かに潜伏するようにル・マンのとりこになっていた。
なぜって? 誰かに話しても、ル・マンの話題はほとんどの友人が興味をしめさず、通じないんだから仕方ない。

こんなきっかけで、世にパソコン通信というものが登場したときに、本名ではなくハンドルネームというのを使うと知った際に、迷うことなく採用したのが「ユノディエール」だったというわけ。それ以来、PC関係やネット関係で知り合った友人からは「ユノさん」と呼ばれる日々がいまも続いている。

がっ、遠い遠いフランスと言う国に対して、なんの欲望もイメージもなく、まして行ってみたいなどという気持ちを持つことは、まったくなかった。事実実際にフランスの地を始めて踏んだのは、この映画を見てから約28年の歳月が過ぎていた。

実は、99年だったと記憶しているが、友人がル・マン行きを誘ってくれたことがあった、その時もまったく行く気になどならず、断っている。

(つづく)
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by kkphoto | 2010-05-17 15:26 | お話し